探究とは「なぜ?」から物事の本質に近づく学び

「どうして空は青いのだろう」
「昆虫の足は、どこから生えているのだろう」
「折り紙は、いつから日本で親しまれてきたのだろう」

子どもが日常の中で口にする「なぜ?」「どうして?」は、学びの出発点です。

身近なものを観察し、「なぜ?」と考える子ども

誰かに与えられた問題に答えるだけでなく、自分で不思議に思い、その理由を知ろうとするところから、探究は始まります。

一つの答えが分かると、それまで見えていなかった疑問に気づくことがあります。
答えは学びの終着点ではなく、次の問いへ進むための出発点でもあるのです。

探究とは、物事の本質に近づいていくこと

探究とは、知識や答えを集めることだけではありません。
身近な生活の中から問いを見つけ、基本を学び、調べ、試し、比べ、考えることを通して、物事の理由や仕組み、背景に近づいていくことです。

ここで大切なのは、最初から正しい答えを知っていることではありません。
自分で問いを持ち、集めた情報や実際の体験をもとに考え、その考えを確かめていくことです。

探究によって本質へ近づく

トリビアロードでは、探究を次のように捉えています。

探究とは、身近な「なぜ?」を出発点に、基本を学び、調べ、試し、比べ、考えながら、物事の本質に近づいていくことです。

物事の本質は、一度調べただけで知り尽くせるとは限りません。
根拠を確かめ、異なる見方を重ね、ときには最初の考えを見直しながら、少しずつ理解を深めていきます。

「探究」と「探求」の違いを整理する

「探究」と「探求」は、どちらも「たんきゅう」と読みます。
言葉の使われ方には重なるところもありますが、トリビアロードでは次のように捉えています。

言葉このページでの捉え方重きを置くところ
探究物事の意味や本質を深く調べること理由や仕組み、背景を掘り下げて理解すること
探求求めるものを探し続けること興味の対象や答え、可能性などを探し求めること

探究と探求は、どちらか一方が優れているという関係ではありません。
また、「探求は広く、探究は深い」とだけ分けられるものでもありません。
目的や対象への向き合い方によって、使い分けられます。

例えば、興味のあるものを探し求める中で、「なぜこのようになっているのだろう」という問いが生まれることがあります。
その問いについて調べ、試し、考えながら理解を深めていけば、探求が探究の入口になります。

トリビアロードが中心に据えているのは、このうち物事の本質に近づこうとする「探究」です。

子どもの「なぜ?」は探究の入口

子どもの疑問は、大人にとって小さく見えても、その子が自分の力で世界を理解しようとする大切な一歩です。
立派な研究テーマを用意しなくても、工作、遊び、文房具、生き物、伝統文化など、身近なものの中に探究の入口があります。

段ボールで昆虫を作ることから始まる探究

例えば、段ボールを使って昆虫を作るとします。見本と同じように切って組み立てれば、工作としては完成するかもしれません。
しかし、図鑑や写真と見比べると、次のような疑問が生まれます。

  • 昆虫の体は、どのように分かれているのか
  • 6本の足は、体のどこについているのか
  • 羽や触角には、どのような違いがあるのか
  • 作った模型と本物の昆虫は、どこが同じで、どこが違うのか

図鑑で基本を知り、写真を観察します。部品の位置を直し、完成後には本物との違いを言葉にします。
この過程が加わることで、工作は「作って終わり」ではなく、昆虫の体のつくりを考える探究へと変わります。

詳しい観察の進め方は、「段ボール工作で昆虫の体のつくりを学ぼう」で紹介しています。

同じように、「木製知育パズルの選び方」の記事からは、「同じピースでも、見本の示し方によって難しさが変わるのはなぜか」という問いが生まれます。

また、「小学生の創造力を育てる画材の選び方」の記事からは、「使う画材によって、描ける線や表現が変わるのはなぜか」という問いが生まれます。

一つの記事を答えとして読むだけでなく、そこから自分なりの問いを見つけることが探究につながります。

基本を身につけることが、本質を理解する土台になる

探究というと、自由に発想することや、自分だけの答えを考えることが重視されがちです。
しかし、物事を深く考えるためには、判断や比較の基準となる知識と基本が必要です。

昆虫の体のつくりを知らなければ、模型のどこが本物と違うのかを判断できません。
画材の性質を知らなければ、思いどおりに描けなかった理由を考えることも難しくなります。

知識を得ることと、本質を理解することは対立するものではありません。
基本的な知識や技能があるからこそ、違いに気づき、より深い問いを持てるようになります。

守破離に見る学びの深まり

物事を学び、身につけていく歩みを考えるうえで、「守破離」という言葉があります。

トリビアロードでは、守破離を次のように捉えています。

「守」は、師匠から教わったことや基本の型を守り、繰り返し身につける段階です。
「破」は、身につけた基本を土台に、自分で試し、工夫しながら理解を深めていく段階です。
「離」は、積み重ねたものをもとに、自分なりの方法や表現が生まれる段階だと捉えられます。

ただし、「離」に進んだからといって、「守」が不要になるわけではありません。

守を大きな土台として、破・離へつながるイメージ

筆者が考える「守90%、破9%、離1%」の割合

筆者は、守破離における各段階の比重を、次のような割合で考えています。

段階感覚的な割合捉え方
守90%基本や型を学び、繰り返し身につける
破9%基本を土台に、試し、工夫し、問い直す
離1%積み重ねたものから、自分なりの表現や方法が生まれる

これは、守破離について客観的に定められた割合ではありません。
基本が学びの中でどれほど大きな土台となるかを表した、筆者自身の捉え方です。

「守」を捨てた先に、「破」や「離」があるのではありません。
「守」を積み重ねる中から「破」が生まれ、その先に「離」が現れるのだと考えています。

基本が一番大切だと考えていても、目標に早く到達したいと思うほど、基本を飛ばして先へ進みたくなることがあります。

しかし、基本を十分に学ばないまま自己流で進めば、大切なことを見落としたり、誤った理解に気づきにくくなったりします。

新しい考えや自分なりの方法も、先人から学び、基本を繰り返す「守」があってこそ生まれるものだと考えています。

上達するほど、基本の大切さが分かる

プロの競技者も、上達したからといって基本練習をしなくなるわけではありません。

例えば、プロサッカー選手はパス練習を行い、プロ野球選手はキャッチボールを続けます。

経験を積むほど、同じ基本の中から、以前は気づかなかった細かな違いや課題を見つけられるようになります。

上達しても基本を大切にしている、サッカーではパス練習、野球ではキャッチボールを続けている

基本は初心者だけが行うものではありません。
本質に近づこうとする人ほど、基本へ何度も立ち返ります。

反復は停滞ではなく、深化である

基本を繰り返すことは、同じ場所にとどまることではありません。
同じものを、以前より深く理解できるようになることです。

最初は形をまねることに精いっぱいだったとしても、繰り返すうちに、わずかな違いや理由に気づくようになります。
その気づきが「なぜ?」という問いになり、次の試行錯誤へつながります。

基本を学び、気づき、問いを持ち、調べ、試し、考える。
そして再び基本へ戻ると、前とは違うものが見えてくる。探究は、この循環によって深まっていきます。

試して、失敗して、また考えることが学びの楽しさ

探究では、最初の予想と違う結果が出たり、調べるほど分からないことが増えたりします。
しかし、それは学びが止まったということではありません。

段ボールで作った昆虫の足の位置が違っていたなら、失敗として終わらせるのではなく、図鑑と見比べて直すことができます。
直した理由を言葉にすれば、「昆虫の体には共通するつくりがある」という理解にもつながります。

予想を立てて試し、うまくいかなかった原因を考え、条件を変えてもう一度試します。
また、異なる意見や資料を比べることで、分からないことから次の問いを見つけます。
その過程で、物事の見え方が変わっていきます。

探究の楽しさは、正解を早く当てることだけではありません。
「知らなかったことが分かった」「前とは違う見方ができた」「もっと確かめたいことが生まれた」という変化にもあります。

先人の知恵から本質を考える

私たちは、すべてを最初から考え出すわけではありません。
現在の暮らしや文化は、先人が試行錯誤を重ね、受け継いできた知恵の上に成り立っています。

まず、受け継がれてきた形や方法を知ることが「守」になります。
その形になった理由や背景、そこに込められた価値を考えることで、文化の本質に近づくことができます。

平成27年から『古事記』を学び続けて

筆者は平成27年(2015年)から『古事記』を学び、研究を続けています。

『古事記』の物語に描かれた人々の喜びや悲しみ、怒り、迷い、決断などを読み解いています。そこから、時代を超えて共通する人間の感情や考え方とは何かを学んでいます。

学びを重ねる中で強く感じてきたのが、守破離における「守」の重要性と、問いを持ちながら探究を続けることの大切さです。

フクロウのお父さんが『古事記』を読んでいる

同じ『古事記』を何度も読んでいても、毎回同じ理解になるわけではありません。

新しく得た知識や経験によって、以前は通り過ぎていた言葉が気になったり、登場人物の感情や行動が違って見えたりします。

文章が変わったのではありません。
学ぶ側の知識や経験、持っている問いが変わったことで、新しいことに気づけるようになったのです。

その内容を覚えるだけでなく、なぜこの物語が記されたのか、なぜ読み継がれてきたのか、自然や人間をどのように捉えていたのかを問い直すことで、『古事記』は探究の対象になります。

物語から、人がなぜそのように感じ、どのように考えて行動するのかを読み解くことは、人間そのものへの理解にもつながると考えています。

一つの読み方だけを正解と決めつけず、異なる解釈にも触れながら、自分の問いを持って何度も読み返す。
そうすることで、先人が自然や人間、社会をどのように捉えてきたのかを考える手がかりが増えていきます。

読み終えることと、学び終えることは同じではありません。
何度も基本へ戻ることで新しい問いが生まれ、理解は少しずつ深まっていきます。

大人は、子どもと一緒に問いを考える

子どもの探究を支えるために、大人がすぐ正解を教える必要はありません。

まず子どもの話を聞き、「どうしてそう思ったの?」「何を調べたら確かめられそう?」と問いかけます。そうすることで、子どもが考えるきっかけをつくれます。

一方で、子どもに任せることと、基本を教えないことは同じではありません。
必要な知識や道具の扱い方、安全上の約束は大人が伝える必要があります。
そのうえで、子ども自身が考え、選び、試せるように見守ります。

大人にも分からないことがあれば、「一緒に調べてみよう」と言えます。

大人が答えを与える人になるだけでなく、一緒に問いを考える人になることで、親子の学びは広がっていきます。

トリビアロードが大切にする探究

トリビアロードは、答えだけを紹介する場所ではありません。
知ったことから新しい問いを見つけ、その問いの先にある理由や仕組み、背景を考えるきっかけとなる場所でありたいと考えています。

そのために、次のことを大切にします。

  • 身近な「なぜ?」を学びの出発点にする
  • 知識と、作る・試す・観察するといった体験を結び付ける
  • 新しい考えや表現を支える基本を大切にする
  • 結果だけでなく、予想、工夫、失敗、発見にも目を向ける
  • 一つの見方だけで決めつけず、異なる考えや見方にも触れる
  • 情報を受け取るだけでなく、自分で確かめ、考える
  • 新しい知識だけでなく、先人から受け継いだ文化や知恵からも学ぶ
  • 子どもも大人も、問いを持ちながら学び続ける

主体的に問いを立て、自分の道を歩く

探究の先にある光に照らされた道を歩いていく

これからの時代は、答えを覚えることだけでなく、自分で問いを持つことが重要になります。

与えられた情報を受け取るだけでは、自分の問いは育ちにくいものです。
自分で見て、感じ、考え、選び、行動するからこそ、疑問や違和感が生まれます。

主体的であることは、何もかも一人で行うことではありません。
先人から学び、周囲の人と話し、異なる考えに触れながらも、自分が何を知りたいのかを見失わずに向き合うことです。

大きな目標があるからこそ、そこに至るまでの中間目標を定め、今の自分に必要な学びを考えられます。

探究は、目標へ向かう中で生まれた問いについて、調べ、試し、考えながら、自分の進み方を確かめていく営みでもあります。

自分がどこを目指すのかを考え、現在地を確かめ、次に何をするのかを選ぶことです。
その主体的な関わりから問いが生まれ、本質に近づく探究へとつながります。
それが、トリビアロードの考える探究です。

一つの答えを知ると、そこから新しい問いが生まれます。
その問いについて学び、考え、再び基本へ戻ると、同じものが以前とは違って見えることがあります。

答えは学びの終着点ではなく、次の問いへ向かう出発点です。

学びや探究に、終わりはありません。
問いを持ち続け、自分の足で学びの道を歩いていきます。

トリビアロードは、子どもも大人も、自分の「なぜ?」から探究を始められる場所でありたいと考えています。