気づき

問いが見方を動かす

探究はどのように始まるのでしょうか。
私は、「なぜだろう?」という問いが、その始まりの一つではないかと考えています。

しかし、その問いの手前には、さまざまな「気づき」があるのではないでしょうか。

「何か違う」
「昨日とは少し変わっている」
「反対の立場から見たら、どう見えるのだろう」

こうした小さな気づきが、「なぜだろう?」という疑問につながり、そこから問いが生まれていきます。

私はこれまでの経験から、気づきが多いほど、物事をさまざまな角度から考えるきっかけが増え、探究につながりやすくなるのではないかと考えています。

これは、何かの理論を説明しようとするものではありません。

私自身が仕事や学び、人との関わりの中で経験し、大切だと感じてきた「気づき」について、ここに書き残しておきたいと思います。

探究の始まりには「気づき」がある

同じものを見ていても、気づく点は人によって異なります。

たとえば、道端に咲いている花を見たとします。

「きれいな花だな」と感じる人もいれば、

「昨日は咲いていなかった気がする」
「どうしてこちら側にばかり花が咲いているのだろう」
「この花には、どんな虫が集まってくるのだろう」

と感じる人もいます。

小さな違いに気づくことから始まる

最初は、ほんの小さな違和感や変化かもしれません。

しかし、その小さな気づきから、

気づき → 疑問 → 問い → 探究

という流れが生まれることがあります。

探究というと、何か特別な研究をすることのように感じるかもしれません。

けれど、その始まりは、身近にある「ちょっと気になる」という感覚なのではないでしょうか。

気づきをそのまま通り過ぎるのではなく、「なぜだろう」と立ち止まってみる。

そこから、探究への道が始まります。

気づきの「量」が問いを増やす

私は、探究を深めていくうえで、「どれだけ気づけるか」も大切だと感じています。

一つの出来事から一つだけ気づく場合と、5つ、10個と多くのことに気づく場合とでは、そこから生まれる疑問や問いの数も変わります。

もちろん、気づきは多ければ多いほどよい、という単純な話ではありません。

一つの気づきを深く掘り下げることも大切です。

一つのものから、いくつもの気づきが生まれる

それでも、さまざまなことに気づけるようになると、「もっと知りたい」「別の見方はないだろうか」という探究の入口が増えていきます。

私は、次のように考えています。

気づきの量が「入口」を増やし、
視点・視野・視座が「深さ」を生み、
継続することが「探究」へつながる。

気づく機会が増えるほど、問いが生まれる機会も増えていきます。

そして、その問いについて考えることが、新しい気づきへとつながっていきます。

気づきを増やす「視点・視野・視座」の違い

気づきを増やすために、私が大切だと考えているのは「視点・視野・視座」です。

私は、それぞれを次のように捉えています。

視点
……どこを見ているのか
視野
……どこまでを見ているのか
視座
……どの高さ・立場から見ているのか

たとえば、一本の木を見るとします。

  • 葉を見る
  • 木全体を見る
  • 森の中の一本として見る
  • 虫の立場から見る
  • 100年前から現在までの変化という時間軸で見る

対象となる木は同じでも、どこを見るのか、どこまで見るのか、どの立場から見るのかによって、見えてくるものは変わります。

「木を見て森を見ず」という言葉があるように、一つの部分だけを見ていると、全体とのつながりを見落としてしまうことがあります。

視点・視野・視座を変えて一本の木を見る

一方で、細かな部分にばかり意識が向くと、枝葉末節にとらわれて、本当に考えるべきことを見失う場合もあります。

反対に、全体だけを見ていても、小さな変化を見逃してしまうかもしれません。

大切なのは、「どちらかだけを見る」ことではなく、必要に応じて見方を変えることだと思います。

では、どうすれば自分で視点や視野、視座を変えられるのでしょうか。

その方法の一つが、自分自身に「問い」を持つことだと私は考えています。

気づく力を養うには、「問い」を持つ

私たちは、いつもと同じものを、いつもと同じように見ていると、同じ見方を繰り返してしまうことがあります。

そこで役に立つのが「問い」です。

問いによって見方が変わる

先ほどの一本の木で考えてみます。

「これは何の木だろう?」
「昨日と違うところはあるだろうか?」
「なぜ、この方向に枝が伸びているのだろう?」
「虫から見たら、この木はどのように見えるだろう?」
「100年前にも、この場所に木があったのだろうか?」

問いが変わると、見る場所や範囲、立場が変わります。

つまり、

問いが変わると、視点・視野・視座が変わる。
見方が変わると、新しい気づきが生まれる。

という関係があります。

「問い」は、気づいた後に生まれるだけではありません。

最初は、

気づき → 問い

だったものが、探究を続けていると、

問い → 見方が変わる → 新しい気づき

という流れにもなっていきます。

つまり、気づきと問いは一方向ではなく、互いに行き来するものです。

気づく
↓
問いを持つ
↓
見方を変える
↓
新しく気づく
↓
さらに問いが生まれる

こうして循環していくことで、一つの物事について考える深さも、少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

また、問いは自分自身から生まれるものだけではありません。

誰かから問いかけられることで、それまで考えたことのなかった方向へ意識が向くこともあります。

さらに、頭の中だけで考えるのではなく、自分の考えを言葉にしたり、書き出したりしてみると、

「自分は、こんなことを考えていたのか」

と、それまで自分でも意識していなかったことに気づく場合があります。

問いは、新しい答えを探すためだけのものではありません。

自分が何を見て、何を感じ、どのように考えているのかに気づくためのきっかけにもなると私は考えています。

表面を見るだけではなく、その奥を見る

気づきが増え、問いを持つようになると、

「何が起きているのか」

だけではなく、

「なぜ、そうなっているのだろう」
「ほかにも関係しているものはないだろうか」
「別の立場から見たら、どう見えるだろう」

と考えるようになります。

そうすると、目の前に見えている現象だけでなく、その背景や、ほかのものとのつながりにも目が向いていきます。

私は、

物事の表面だけではなく、その背景やつながりまで考えることで、本質に近づいていけるのではないか。

と考えています。

もちろん、一度考えただけで本質が分かるわけではありません。

自分では「分かった」と思っていても、経験を重ねたり、別の人から話を聞いたり、時間を置いてもう一度見たりすると、それまでとは違ったものが見えてくることがあります。

同じ『古事記』でも、以前とは違って見える

私にとって『古事記』は、物事の表面だけでなく、その奥にある意味を考えるきっかけとなっています。

平成27年から『古事記』を学び続けていますが、同じ文章を読んでいても、その時々の自分の知識や経験、持っている問いによって、見えてくるものが変わります。

また、何度も読み返し、自分自身の経験を重ね、さらに師から教えを受けるうちに、一人で読んでいたときには気づかなかったことも見えるようになりました。

以前は気にも留めなかった一文が、あるとき急に重要な意味を持って見えることもあります。

対象は変わっていません。

こうした経験については、「探究とは」の「平成27年から『古事記』を学び続けて」の項目でも紹介しています。

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気づきを一瞬で消える「赤い炎」で終わらせない

一気に大きく燃え上がる赤い炎、小さいけれど安定して燃えている青い炎

何かに気づいた瞬間、

「分かった!」
「面白い!」
「やってみよう!」

と、気持ちが一気に高まることがあります。

しかし、そのときに生まれた意欲も、時間が経つと薄れてしまうことがあります。

私は、この違いを「炎」に例えて考えています。

一つは、勢いよく燃え上がるものの、すぐに消えてしまう赤い炎です。

もう一つは、派手ではなくても、簡単には消えずに燃え続ける青い炎です。

赤い炎 
一時的な気づきや意欲
青い炎 

静かでも消えずに続く探究心

として考えてみます。

新しいことを知って、一瞬気持ちが高まることも、もちろん大切です。

ただ、その気づきが、

「面白かった」

だけで終わってしまえば、そこで火は消えてしまいます。

「なぜだろう」
「もう少し調べてみよう」
「前に考えたことと違うかもしれない」

と問いを持ち続けることで、小さな炎は消えにくくなっていきます。

探究を続けるうえでは、一瞬で燃え上がる大きな炎よりも、長く燃え続ける小さな青い炎のほうが大切なのかもしれません。

青い炎を消さないために必要なこと

では、その青い炎を消さずに燃やし続けるには、何が必要なのでしょうか。

私が大切だと感じているのは、次のようなことです。

振り返ること

一度考えて終わりにするのではなく、「あのときはどう考えていたのだろう」と振り返ってみます。

過去の自分と現在の自分を比べることで、変化に気づくことがあります。

青い炎を守り続ける

自分なりの軸を持つこと

「何を大切にしているのか」「なぜ、それを続けたいと思っているのか」を考えます。

自分なりの軸があると、迷ったときにも、もう一度原点へ戻りやすくなります。

また、学びを深めるうえでは、基本を繰り返し身につける「守破離」という考え方も重要になります。

ほかの人の見方を聞くこと

自分だけで考えていると、どうしても見方が固定されます。

自分とは違う経験を持つ人の話を聞くことで、自分にはなかった視点に気づくことがあります。

自分の考えを見直すこと

「以前はこう思っていたから、今もそうだ」と決めてしまわず、ときには自分自身の考えを疑ってみることも必要です。

新しい気づきによって考えが変わるのは、自然なことだと思います。

考え続けられる環境をつくること

一人では続かなかったことでも、同じことについて話せる人や問いかけてくれる人がいると、考え続けやすくなります。

探究を続けるためには、自分自身の意志だけでなく、周囲の人や環境も大切です。

こうしたことを繰り返しながら、自ら探究の火を絶やさず、燃やし続けることが大切です。

それが、青い炎を長く燃やしていくことにつながるのではないかと考えています。

気づきは、また新しい気づきを生む

気づきから、また新しい気づきへ、気づきの循環

探究は、一つの答えにたどり着いて終わる一本道ではありません。

私は、次のような循環だと考えています。

見る
↓
気づく
↓
「なぜ?」が生まれる
↓
比べる・調べる・試す
↓
考える
↓
振り返る
↓
新しい気づきが生まれる

新しいことに気づけば、そこからまた新しい問いが生まれます。

そして、その問いについて考えていくと、それまで見えていなかったことが見えるようになります。

この循環を繰り返すことで、

気づく
↓
視点・視野・視座を変える
↓
問いを持つ
↓
深く見る・考える
↓
探究する
↓
振り返る
↓
新しい気づきが生まれる
↓
また問いが生まれる

という流れが続いていきます。

探究は終わりを迎えるものではなく、続けるからこそ新しい気づきが生まれるものです。

私は、この循環そのものが探究の面白さなのではないかと思っています。

気づく力を育てる

特別な知識がなくても、気づくことはできます。

  • いつもの景色を少し違う角度から見る
  • いつもとは反対の立場から考える
  • 「なぜだろう」と問いを持つ
  • 誰かの考えを聞いてみる
  • 自分が考えたことを振り返ってみる

そうした小さな積み重ねによって、今まで見えていなかったものが見えてくることがあります。

私自身も、まだ気づいていないことがたくさんあります。

だからこそ、

「本当にそうだろうか」
「ほかの見方はないだろうか」

という問いを持ち続けたいと思っています。

小さな気づきをそのままにせず、「なぜだろう」と考え続ける。

その小さな青い炎が探究へとつながり、やがて物事の表面だけでなく、その奥にあるものへ目を向けるきっかけとなります。

そして、一つの気づきが、また次の気づきを生んでいきます。

私は、これまでの経験からそう考えています。

気づきを深める実践の場

気づくためには、ただ知識を増やすだけでなく、自分自身に問いを投げかけ、自分の考えを言葉にしてみることも大切だと感じています。

普段の生活や仕事の時間でも「気づく」意識を持つことは重要です。

主体性を持って取り組んでいると、自然と「気づく」ことに意識が向きます。
しかし、最初から「気づく」ことに意識を向けるのは難しいものです。

トレーニングを続けることで、徐々に意識が変わります。

自分の変化を客観的に評価するのは難しいものです。

しかし、周囲の人から

「アウトプットが速くなったね」
「まとめるのがうまいね」
「切り込むタイミングがいいね」

など、変化を教えてもらうと、学びの成果を実感でき、自信につながります。

私の場合は、こうした取り組みを続けるうちに、一つの物事から以前より多くのことに気づくようになり、視野も広がったと感じています。

また、以前なら見過ごしていたようなことに対して、「何か気になる」と感じることも増えました。

こうした経験を通じて、直感的に物事を捉える力も少しずつ養われていたのだと思います。
気づく力も一度で身につくものではなく、問いを持ち、考え、振り返ることを繰り返す中で、少しずつ養われていくものだと考えています。

私は、「問い」を通じた内省と「書くこと」を組み合わせ、自分自身の考えを見つめる「コーチング筆想ワーク」にも取り組んでいます。

問いに向き合い、自分の言葉を書き、ほかの人の考えにも触れる。

そうした時間が、自分一人では見えていなかったものに気づくきっかけの一つになると考えています。