折り紙はいつから日本の文化になったのか

家族で折り紙をしている様子

色とりどりの正方形の紙を使い、鶴や兜、舟、風船などを作る折り紙。

日本では、幼稚園や学校、家庭、地域行事など、さまざまな場所で親しまれています。

海外でも、日本語の「ORIGAMI」がそのまま使われているため、折り紙は古代の日本で生まれ、昔から現在と同じ形で受け継がれてきたと思われることがあります。

しかし、折り紙がいつ、どこで始まったのかは、はっきり分かっていません。

日本に紙の製法が伝わったとされるのは7世紀初めですが、その頃から折り紙が行われていたことを示す史料は残っていません。
また、室町時代に発達した贈答の礼法「折形」と、鶴や舟などを作って楽しむ現在の折り紙も、まったく同じものではありません。

では、折り紙はいつから日本の文化になったのでしょうか。

この記事では、紙の伝来から室町時代の礼法、江戸時代の庶民文化、明治時代の学校教育までを時代順にたどり、折り紙が日本人に広く共有される文化になった過程を紹介します。

目次

折り紙はいつから日本の文化になったのか

最初に結論を述べると、折り紙が日本文化になった時期を、一つの年代だけで示すことはできません。

折り紙は、ある年に突然誕生したものではないからです。紙を作る技術、物を包む礼法、紙で形を作る遊び、家庭での伝承、学校教育などが、長い時間をかけて重なり、日本の文化として定着していきました。

折り紙をしている様子

大きな流れを整理すると、次のようになります。

時代折り紙文化の位置づけ参考文献
7世紀初め日本における製紙に関する古い記録が現れる。ただし、折り紙が始まった時期を示す記録ではない。日本製紙連合会「日本への伝播」
平安時代~鎌倉時代和紙の用途が広がり、書写、文書、神事、包みなどに紙を用いる文化が発達する。日本折紙協会「おりがみの歴史」
福岡市博物館「文書のかたち」
室町時代贈り物を和紙で包む「折形」が武家の礼法として整えられる。Web Japan「折り紙の歴史」
日本折紙協会「おりがみの歴史」
江戸時代紙の生産量が増え、形を作って楽しむ遊戯折り紙が大人から子どもへ広がる。五十嵐裕子「折り紙の歴史と保育教材としての折り紙に関する一考察」
1797年(寛政9年)49種類の連鶴を収録した『秘傳千羽鶴折形』が出版される。国立国会図書館サーチ『秘傳千羽鶴折形』
明治時代幼稚園や学校教育に紙を折る活動が取り入れられ、教育機関が新たな伝承の場として加わる。文部科学省『学制百年史』「幼稚園の創設」
Web Japan「折り紙の歴史」
昭和以降創作折り紙が芸術として発展し、日本語の「ORIGAMI」が世界へ広がる。政府広報「折り紙の世界」
上三川町「“折り紙”から“ORIGAMI”へ」

折り紙が日本文化として定着した時期を、特定の年代だけで示すことはできません。
室町時代には紙を折る礼法が発達し、江戸時代には遊戯折り紙が人々に親しまれ、明治時代には幼稚園や学校が新たな伝承の場として加わりました。
こうした変化が重なり、折り紙は長い時間をかけて日本に根付いていったと考えられます。ます。

折り紙の始まりを考える前に知っておきたい紙の歴史

簡潔な紙漉きの道具を観察している様子

日本の製紙に関する現存最古の記録は610年

610年は、日本に製紙法が初めて伝わったことを確認できる年ではありません。日本国内の製紙に関する、現存最古の文献記録が残る年です。

日本で紙作りが始まった正確な時期は分かっていません。
しかし、『日本書紀』の推古天皇18(610)年の記録には、高句麗から来た僧・曇徴が五経に通じ、彩色や紙、墨を作ることができたと記されています。
この記述から、曇徴が日本に製紙法を伝えたとする説が広く知られるようになりました。

ただし、この記録は「日本で初めて紙が作られたのが610年だった」と明確に示しているわけではありません。
610年より前に、すでに紙や製紙技術が日本へ伝わっていたとする説や、5世紀頃までには日本国内で紙が作られていた可能性も指摘されています。

日本製紙連合会も、610年に曇徴が製紙法を伝えたとされる一方で、それ以前に日本で紙漉きが行われていたという説を紹介しています。

また、610年に折り紙が始まったことを示す記録もありません。
紙の歴史と折り紙の歴史は、分けて考える必要があります。

参考:
日本製紙連合会「日本への伝播」 
紙の博物館「紙のQ&A」 

紙は最初から遊びに使われたわけではない

古代の紙は、現在の折り紙のように気軽に使えるものではありませんでした。

紙を作るには、植物の皮から繊維を取り出し、煮る、叩く、水に溶かす、漉く、乾かすといった多くの工程が必要です。
大量生産が難しかった時代の紙は貴重で、写経や記録、公文書などに優先して使われました。

日本で仏教が広がると、経典を書き写すために多くの紙が必要になります。
また、律令制度が整えられる過程でも、戸籍や行政文書を作るために紙の需要が高まりました。

やがて日本では、楮や雁皮などを原料にした製紙技術が発達します。
繊維が長く、薄くても破れにくい和紙は、文字を書くためだけでなく、障子、襖、扇子、提灯、衣服、包装など、日本の生活の幅広い場面で使われるようになりました。

現在も受け継がれている手漉き和紙の技術は、2014年に「和紙:日本の手漉和紙技術」としてユネスコ無形文化遺産に登録されています。

参考:UNESCO「Washi, craftsmanship of traditional Japanese hand-made paper」

丈夫な和紙が折る文化の土台になった

折り紙を作るには、紙に折り目をつけても簡単に破れないことが重要です。

薄くても丈夫な和紙
項目根拠となる文献確認できる内容
和紙は比較的薄い山内龍男・宇佐美直治「和紙の力学的性質の特徴」和紙は坪量が概して小さく、比較的薄い紙が多い
引き裂かれにくい同論文和紙は洋紙より引裂強度が大きく、その要因として長い繊維と高い繊維強度が指摘されている
繰り返し折っても傷みにくい同論文折り曲げに対する疲労強度である「耐折強度」が、洋紙よりかなり大きい
和紙が包む・折る文化に使われたWeb Japan、日本折紙協会薄く丈夫な和紙が神事や贈答の包みに使われ、儀礼折へ発展したという歴史的説明
和紙が折り紙文化の土台になったWeb Japan、日本折紙協会材料の発達から儀礼折、遊戯折り紙へ至る流れ。ただし、因果関係の断定ではなく歴史的解釈

日本で発達した和紙には、比較的薄くても、引き裂きや繰り返しの折り曲げに強いものがあります。
和紙の力学的性質を調べた研究では、和紙は洋紙に比べて引裂強度や耐折強度が大きいことが示されています。そのため、包む、畳む、形を作るといった用途に適した素材だったと考えられます。

折り紙の起源がはっきりしない理由

折り紙の歴史を調べると、「平安時代に始まった」「室町時代に始まった」「江戸時代に始まった」など、異なる説明が見つかります。

その理由の一つは、折り紙の起源を直接示す史料が少ないことです。

紙で作られた遊び道具は、使用後に捨てられたり、傷んだりしやすく、後世まで残りにくいものです。
さらに、家庭や子どもの間で行われていた遊びは、公文書や歴史書に記録されにくいため、「最初の折り紙」を特定することは困難です。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースで紹介されている資料にも、折り紙の歴史については、文献がほとんど残っていないという指摘があります。

そのため、歴史を考える際には、「折り紙が始まったとされる伝承」と「当時すでに折り紙が存在したことを確認できる史料」を分ける必要があります。

参考:国立国会図書館レファレンス協同データベース「折り紙の歴史を調べている」

昔の「折紙」は現在の折り紙とは限らない

もう一つ注意したいのが、「折紙」という言葉の意味です。

現在では「折り紙=紙を折って形を作る遊び」と考えるのが一般的ですが、歴史上の「折紙」には別の意味があります。

中世の古文書では、紙を横に二つ折りにし、折り目を下にして文字を書く文書形式を「折紙」と呼びました。
この折紙は、鶴や舟などの形を作る遊びではありません。
文書に使う紙の形や書式を表す言葉です。

古文書の「折紙」と造形遊びの折り紙

折紙は鑑定書にも使われました。鑑定結果を折紙に記したことから、価値や品質が保証されているものを「折り紙付き」と呼ぶようになったとされています。

そのため、古い文献に「折紙」という言葉が登場しても、それだけで現在のような折り紙が行われていた証拠にはなりません。

参考:福岡市博物館「文書のかたち」

室町時代に発達した「折形」という礼法

折形は贈り物を包むための作法

折形は贈り物を包むための作法

室町時代になると、武家社会では儀式や贈答の作法が整えられていきました。
その中で発達したのが、和紙を使って贈り物を包む「折形」です。

折形では、贈る品物や目的、相手との関係などによって、紙の種類、折り方、水引の結び方が変わります。

大切なのは、単に中身を隠したり、運びやすくしたりするために包むのではないという点です。
紙の選び方や折り方、水引の結び方を通して、相手への敬意や祝意、清浄さなどが表されていました。

外務省のWeb Japanでは、室町時代に小笠原家や伊勢家などによって礼儀作法が整えられ、紙包みの礼法である儀礼折もこの頃に整えられたと紹介しています。

現在のお祝いに使われる熨斗包みや、婚礼で使われる雄蝶・雌蝶などには、この儀礼折の名残が見られます。

折形は、贈答や儀礼を正しく行うための礼法です。誰もが自由な形を作って楽しむものではなく、品物や場面に応じた決まりを守ることが重視されました。

ただし、同じ時代に、形を作って楽しむ紙折りがまったく存在しなかったとは断定できません。
遊びとしての折り紙が、いつ、どの程度の人々に広まったのかについては、明確でない部分があります。

参考:
Web Japan「折り紙の歴史」 
Web Japan「贈る心を『結ぶ』折形/水引細工」

江戸時代に遊びとしての折り紙が広がった

紙が庶民の生活に身近なものになる

江戸時代には、全国各地で製紙業が発達し、紙の生産量が増加しました。

紙は書物や浮世絵だけでなく、障子、提灯、傘、扇子、玩具、包装など、生活のさまざまな場面で使われるようになります。

寺子屋の普及や出版文化の発展も、紙を身近なものにしていきました。

家族で折り鶴や舟など折り紙を楽しむ

紙が手に入りやすくなると、礼法や実用品として折るだけでなく、折ること自体を楽しむ余地も生まれたと考えられます。

鶴や舟など、具体的な物の形を作る遊戯折り紙が広がったのも、この時代です。

文学や浮世絵に折り紙が現れる

江戸時代の初めから中頃にかけて、紙を折って遊ぶ様子や折り紙の形が、文学、着物の模様、浮世絵などに見られるようになります。

当時は、現在の造形遊びを指す「折り紙」という呼び名は、まだ一般的ではありませんでした。
紙を折って形を作る遊びは、「折据(折居)」や「折形(折方)」などと呼ばれていました。
ただし、「折形」は贈り物を包む礼法にも使われた言葉であり、同じ名称が必ずしも同じ目的の紙折りを表していたわけではありません。 

当時の呼称読み内容・用例
折据・折居おりすえ紙を折って形を作る遊び。
井原西鶴の『好色一代男』(1682年)にも用例が見られます
折形・折方おりかた紙の折り方や、折って作ったものを表す呼称。
1797年刊行の『秘傳千羽鶴折形』にも使われています

1700年頃になると、折り鶴が衣装の模様や浮世絵などに描かれるようになります。
これは、折り鶴の形が意匠として知られる程度に、社会の中で広まっていたことを示す手掛かりになります。

折り紙がいつ誕生したかは分かっていません。

しかし、江戸時代には遊戯折り紙が人々に親しまれ、その形が文化の中に現れていたことを史料から確認できます。

参考:
精密工学会誌「ぼくら折紙研究員―折紙からORIGAMIへ―」 

折り紙は大人の遊びでもあった

現在の折り紙には、子どもの遊びという印象があります。

しかし、江戸時代の遊戯折り紙は、最初から子どもだけのものだったわけではありません。
大人の趣味や手慰みとしても楽しまれていました。 

五十嵐裕子氏の論文「折り紙の歴史と保育教材としての折り紙に関する一考察」では、江戸時代に折り紙が礼法や決まりから離れ、折り方そのものを楽しむ大人の遊びとして広がり、江戸時代中期には子どもの遊びとしても普及したと整理されています。

折り紙は大人の遊びとして広がる一方、祖母や母から子どもへ、生活や作法の一部としても受け継がれ、江戸時代中期には子どもの遊びとして普及していったと考えられます。

参考:
国立国会図書館サーチ「折り紙の歴史と保育教材としての折り紙に関する一考察」

1797年の『秘傳千羽鶴折形』が示す確かな証拠

古い折り方の本を見ながら連鶴を作っている

江戸時代の折り紙文化を示す重要な史料が、寛政9(1797)年に出版された『秘傳千羽鶴折形』です。

『秘傳千羽鶴折形』は、1枚の紙に切り込みを入れ、複数の鶴が羽やくちばし、尾などでつながった「連鶴」の作り方を紹介した本です。
合計49種類の連鶴が掲載されており、現存する遊戯折り紙の本として、世界最古級の資料とされています。

現在の折り紙では、正方形の紙を切らずに1枚で折ることを基本とする場合があります。
しかし、江戸時代の折り紙には、切り込みを入れたり、正方形以外の紙を使ったりする作品もありました。
現在一般的になっている決まりを、そのまま過去に当てはめることはできません。

国立国会図書館サーチの書誌情報によると、『秘傳千羽鶴折形』の本文には、魯縞庵(ろこうあん)の主人が「数の歳月手慰」にした折形であるという趣旨の記述があります。

「手慰み」という表現から、連鶴が儀礼のためだけではなく、長年の趣味や創作として考案されたことがうかがえます。 

49種類もの作品が考案され、折り方を図入りの本として出版できるほど体系化されていたことは、1797年より前から折り紙文化が一定程度発達していたことをうかがわせます。

したがって、1797年は折り紙が誕生した年ではありません。
しかし、「江戸時代の日本で、高度な折り紙が大人の創作文化として存在していた」ことを確認できる重要な年といえます。

参考:
国立国会図書館サーチ『秘傳千羽鶴折形』
玉川大学教育博物館『千羽鶴折形』

明治時代に折り紙が全国的な教育文化になる

幼稚園に紙を折る活動が取り入れられる

江戸時代に庶民へ広がった折り紙は、明治時代になると教育の中へ取り入れられていきます。

明治時代に折り紙が幼稚園教育へ取り入れられた背景には、ドイツの教育者フリードリヒ・フレーベルの教育法が大きく影響しています。

フレーベルは、紙折りを遊びを通して子どもの活動を引き出す「手技」の一つに位置付けました。

日本では、明治9(1876)年に東京女子師範学校附属幼稚園が開設され、フレーベルの幼稚園を模範とした保育が始まりました。

翌明治10(1877)年に制定された幼稚園規則には、「剪紙」「剪紙貼付」「織紙」「畳紙」などが保育内容として挙げられています。

これらはすべて現在の折り紙を意味するものではありませんが、紙を切る、貼る、織る、畳むといった活動が幼児教育に取り入れられていたことを示しています。

ただし、日本の折り紙文化がここから始まったわけではありません。
江戸時代までに発達していた日本の遊戯折り紙と、フレーベル式幼稚園から伝わったヨーロッパの紙折りが重なり、日本独自の教育折り紙へ発展していったと考えられます。

参考:
文部科学省『学制百年史』「幼稚園の創設」
西田幸代「日本の幼児教育における折り紙の発展―フレーベル教育理論の『移動』に関しての変容観点から―」
五十嵐裕子「折り紙の歴史と保育教材としての折り紙に関する一考察」
お茶の水女子大学附属図書館「附属幼稚園創立140周年記念特別展」

日本の伝承と西洋の教育方法が融合した

明治時代の教育折り紙は、日本に受け継がれてきた遊戯折り紙と、フレーベル式幼稚園から伝わった西洋の紙折り教育が融合して発展した文化といえます。

日本には、江戸時代までに折り鶴や舟などの遊戯折り紙が存在し、人々の間で受け継がれていました。

一方、フレーベル式幼稚園では、紙を折る活動が、遊びを通して子どもの活動や形への理解を促す「手技」の一つに位置付けられていました。

日本の幼稚園では、西洋から導入された教育方法が、日本に伝わる折り紙文化と次第に結びついていきました。

これは、日本の古い折り紙が西洋の折り紙に置き換えられたということではありません。
日本にあった伝承文化が、新しい教育制度の中で再構成され、教育教材として位置付け直されたと捉えられます。

明治時代の教育折り紙は、日本固有の伝承だけで完成したものでも、西洋から輸入された教材がそのまま定着したものでもありません。
西洋から導入された教育方法は日本の折り紙文化と結びつき、日本の幼稚園教育に適応する形で変化していきました。

この融合は、その後、日本で折り紙が教育教材として受け入れられていく一つの契機になったと考えられます。

学校教育によって地域を越えて伝わる折り紙

家庭と学校という二つの伝承の場

明治時代より前の折り紙は、家庭や地域の中で、人から人へ伝えられてきました。
五十嵐裕子氏の論文では、江戸時代中期以前の折り紙が、祖母や母から子へ伝承されていたと整理されています。

明治時代になると、家庭や地域での伝承に加えて、幼稚園や学校が新たな伝承の場として加わりました。家庭で折り紙を教わる機会のない子どもも、教育の中で紙を折る活動を経験できるようになったのです。

Web Japanでは、明治時代に折り紙が幼稚園教育へ取り入れられ、小学校でも手工や図画を通して教えられるようになったと説明しています。

もちろん、明治時代に入ったからといって、すべての子どもへ一斉に広がったわけではありません。
しかし、幼稚園や学校が各地に設けられるにつれて、教育の中で紙を折る機会も広がっていったと考えられます。

現在、多くの人が折り鶴や兜などの折り方を学ぶ機会がある背景には、家庭での伝承に加え、明治以降の教育も一因となっていると考えられます。

学校教育による普及は、家庭での伝承に代わるものではありません。
折り方を広く共有する学校教育と、身近な人との関わりの中で文化を受け継ぐ家庭や地域の伝承は、それぞれ異なる役割を担っていました。

明治時代は、家庭や地域に加えて、幼稚園や学校が折り紙を伝える新たな場になった重要な時期だったといえます。

折り紙は本当に日本だけで生まれたのか

紙を折る文化は海外にもあった

折り紙は日本文化の一つですが、紙を折る行為そのものが日本だけで生まれたとは断定できません。

紙が作られ、使われてきた地域では、物を包む、文書を折る、飾りを作るといった行為が、それぞれ行われてきました。

ヨーロッパにも独自の紙折り文化があり、19世紀にはフレーベルが幼児教育へ紙を折る作業を取り入れています。

日本だけではなく海外にも存在した紙を折る文化

日本折紙学会の顧問を務めた古典折り紙研究家の岡村昌夫氏は、日本の折り紙がいつ始まったかは分かっておらず、ヨーロッパでも12世紀に製紙法が伝わった後、独自の紙折り文化が生まれたと説明しています。 

そのため、「世界で最初に紙を折ったのは日本人だった」と証明することはできません。

重要なのは、紙を折る行為の発明国を決めることではありません。

日本では紙折りが礼法、遊び、家庭、教育、芸術などと結びつき、世代を超えて受け継がれる独自の文化になったという点です。

日本文化に見られる「造り変える力」

ある文化が日本で独自に発達したことと、その行為が日本にしか存在しないことは同じではありません。

例えば、世界各地に物を包む習慣があっても、和紙や風呂敷を使った日本の包み方には、日本独自の作法や美意識があります。

折り紙も同様です。

海外にも紙を折る文化はありました。
しかし日本では、丈夫な和紙、贈答の礼法、鶴や亀などの吉祥的な形、江戸時代の出版文化、家庭での伝承、明治以降の学校教育が重なりました。

その結果、折り紙は日本人の生活や成長過程と深く結びついた文化になったのです。

芥川龍之介の短編小説『神神の微笑』では、「この国の霊」を名乗る老人が、日本に古くからある力を「破壊する力ではありません。造り変える力なのです」と表現しています。

外から入った文化をそのまま受け入れるのではなく、日本の生活や美意識に合わせて新しい文化へ変えていくという見方は、折り紙の発展を考えるうえでも一つの視点になります。

「折り紙」が「ORIGAMI」として世界へ広がる

動物、昆虫、鳥などの立体的な創作折り紙

折り紙が世界で広く知られるようになる過程では、近現代の創作家や普及活動も大きな役割を果たしました。

特に重要な人物が、創作折り紙作家の吉澤章です。

吉澤章は、動物や昆虫などを生き生きと表現する作品を数多く生み出し、折り紙を子どもの遊びだけでなく、芸術的な造形表現として発展させました。

1954年には国際折り紙研究会を設立し、1955年にはオランダのアムステルダムで海外初の個展を開催しています。
その後も世界各国で展覧会や講習を行い、日本の創作折り紙を海外へ紹介しました。

吉澤章の出身地である栃木県上三川町は、吉澤が外務省や国際交流基金から派遣され、世界約50カ国で折り紙の普及に努めたと紹介しています。

こうした活動に加え、各国の折り紙作家や愛好団体による交流も進みました。

アメリカのリリアン・オッペンハイマーは、それまで「paper folding」と呼ばれていた紙折りを、日本語の「origami」と呼ぶことを提案しました。
また、OrigamiUSAの前身となる団体の活動を通して、普及にも貢献しました。

日本の創作家と海外の愛好家や団体による交流が重なり、日本語に由来する「ORIGAMI」は、世界で共通して使われる言葉として定着していきました。

現在の折り紙は、伝承作品や芸術作品だけにとどまりません。

折り紙の幾何学は数学の研究対象となり、その折り畳み構造を宇宙構造物、建築、医療機器、製品の展開・収納構造などへ応用する研究も進められています。

日本で独自に発展し、「ORIGAMI」として世界へ広がった折り紙は、現在では各国の作家や研究者によって、新しい作品や技術を生み出し続けています。

参考:上三川町「“折り紙”から“ORIGAMI”へ 創作折り紙作家 吉澤章」

なぜ折り紙は日本に定着したのか

折り紙が日本文化として定着した理由を、一つだけに絞ることはできません。

歴史を振り返ると、少なくとも次の要素が重なっていたと考えられます。

薄くて丈夫な和紙が発達した

折り目をつけても破れにくい和紙は、包む、畳む、形を作るといった用途に適していました。

紙に意味を込める文化があった

日本では紙が記録の道具としてだけでなく、神事、贈答、祝い事などにも使われました。
紙の折り方や包み方そのものが、敬意や祝意を表す文化表現になっていたのです。

江戸時代に紙と出版が庶民へ広がった

浮世絵や着物の文様を通して折り紙の形が広く知られ、折り方を記した本が刊行されたことで、その技法を記録して伝えることも可能になりました。

家庭の中で世代を超えて伝えられた

折り紙は、大がかりな道具を必要としません。
そのため、親から子、祖父母から孫へ、身近な生活の中で折り方を伝えやすい特徴がありました。

学校教育が新たな伝承の場になった

明治以降、幼稚園や学校で紙を折る活動が行われるようになり、家庭や地域での伝承に加えて、教育機関を通じて紙折りを経験する機会も広がりました。

このように、折り紙は、和紙の発達、紙に意味を込める礼法、江戸時代の庶民文化と出版、家庭内の伝承、明治以降の教育という、複数の条件と伝承経路によって日本に定着していきました。

一つの形を完成させるだけでなく、折り方を誰かに教え、その人がさらに次の人へ伝えていく点も、折り紙文化の特徴の一つと考えられます。 

まとめ|折り紙は長い時間をかけて日本文化の一部として発展してきた

折り紙がいつ、どこで始まったのかは、現在も明確に分かっていません。

日本国内での製紙について記した現存最古の文献記録としては、『日本書紀』に記された、610年に渡来した曇徴に関する記事があります。
しかし、610年に折り紙が始まったことを示す記録はなく、紙の歴史と折り紙の歴史は分けて考える必要があります。

室町時代には、和紙で贈り物を包む「折形」が武家の礼法として発達しました。折形と現在の遊戯折り紙は目的が異なり、折形が遊戯折り紙の直接の起源だと確認されているわけではありません。
ただし、この時代に紙を折って敬意や祝意を表す儀礼文化が存在していたことは確認できます。

江戸時代になると、紙の生産と出版文化が発達し、鶴や舟などの形を作る遊戯折り紙が人々に親しまれるようになりました。

1797年に刊行された『秘傳千羽鶴折形』は、当時の日本に高度な折り紙の創作文化が存在していたことを示す重要な史料です。

明治時代には、フレーベル式幼稚園の教育方法が導入され、紙を折る活動が幼稚園や学校で扱われるようになりました。
家庭や地域での伝承に加えて、教育機関が折り紙を伝える新たな場となったのです。

ただし、紙を折る文化は日本だけで生まれたとは断定できません。

ヨーロッパにも独自の紙折り文化があり、明治時代の教育折り紙は、日本に伝わる遊戯折り紙と西洋の教育方法が結びつきながら発展しました。

近現代には、吉澤章をはじめとする創作家と、海外の愛好家や団体による交流を通して、「ORIGAMI」が世界で使われる言葉になっていきました。

以上を踏まえると、「折り紙はいつから日本の文化になったのか」という問いには、次のように答えられます。

折り紙が日本文化になった時期を、一つの年に決めることはできません。
室町時代には紙を折る礼法が発達し、江戸時代には遊戯折り紙が人々に親しまれ、明治時代には幼稚園や学校が新たな伝承の場として加わりました。
こうした変化が重なり、折り紙は長い時間をかけて日本に根付いていったと考えられます。

折り紙は、ある一人の発明者によって突然生まれたものではありません。
紙を作る人、折り方を考える人、家族に教える人、教育の場で伝える人。
それぞれの手を通して、折り方や作品も少しずつ変化しながら、長い時間をかけて受け継がれてきた文化なのです。

参考資料

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